2017-08

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歴史のモヤモヤ2

どうも楠本です

前回に引き続き

剣豪宮本武蔵の歴史のモヤモヤを

書いていこうと思います(前回の読んでいない人はそっちから)

宮本武蔵の話でもっとも有名なのは

もちろん巌流島での佐々木小次郎との決闘でしょう

佐々木小次郎といえば「物干し竿」とよばれる長刀を使い

「燕返し」なる必殺技は誰もがしっているでしょう

世間一般的に知られる「巌流島の決闘」はこんな感じです。

巌流島にて1対1の決闘をすることになった二人

武蔵がわざと決闘に遅れ小次郎を苛立たせる

決闘前に鞘(さや)を捨てた小次郎に武蔵が

「小次郎敗れたり。勝つつもりなら大事な鞘は捨てないはずだ」と言う

武蔵が木刀で勝つという話です

もちろんこの話にも数多くの逸話が残されています


まずは前回の吉岡家との決闘でも登場した

武蔵の養子・伊織の記録では

岩流と名乗る達人と武蔵が決闘し

一撃で武蔵が勝利とあります。

この記録では約束通り1対1の勝負をし

武蔵は遅刻していないことになっています。

また吉岡との決闘を弟子たちに多く話したのとは対照的に

巌流島の決闘については弟子たちからの逸話はなく

著書『五輪書』にも記載がありません

私たちが考えているほど武蔵にとっては

小次郎との決闘は大きなイベントではなかったのかもしれません


次は近年発見された『沼田家記』という記録です。

この記録は沼田家が中立の立場であったことや

決闘当時に書かれたことから最も信憑性が高いのではと

言われています

小次郎と名乗るものが武蔵と試合し小次郎が敗れ気絶する

小次郎は約束通り一人で来ていたが

武蔵は弟子を数名島に隠しており

目覚めた小次郎を弟子たちが皆で打ち殺した

それを聞いた小次郎の弟子たちが武蔵に復習しようとしたが

武蔵は沼田家を頼って逃げ延びたとあります

正直武蔵ファンには非常にガッカリな内容です


これと類似する資料で『西遊雑記』という紀行文があります。

紀行文は筆者が旅をした中で人から伝え聞いた内容なので

信憑性は高くありません

武蔵と岩龍(小次郎)が試合をすることになった

島に渡ろうとした岩龍を村人が止めた

「武蔵は弟子を大勢引き連れて島に渡りました。多勢に無勢、一人ではとても敵いません。」

しかし岩龍は「武士に二言はない。約束した以上、今日行かねば武士の恥だ」

武蔵は四人の弟子の加勢により岩龍は討たれた

しかし岩龍を止めた村人たちが岩龍の義心に感じ入り

墓を築いて、岩龍島と呼ぶようになった


他にもたくさんの記録がありますが

共通点は武蔵は遅刻をしていません

これは江戸時代以降

歌舞伎などで武蔵が演じられる際

ストーリーをおもしろくするため脚色されたものと思います

佐々木小次郎という名も江戸以降統一されたようです

これ以外にも武蔵が10代・20代の若者だったのに対し

小次郎は50代のおじいさんだったという説もあります


どの説を信じるかは自由ですが

皆さんが知っていることだけが真実では決してありません

ではよいお年を

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